アウトプットの重要性を、今一度考えてみる
ずっと前から、アウトプットの重要性をといている人がとても多い。
インプットだけではダメだ。アウトプットをしたほうがよい。
結構耳タコだ。
でもなぜ、アウトプットをしたほうが良いのか。
私は、「頭の中の無定形なものが、定形なものになってくる」からだと思っている。
●人間の思考には、定形と無定形がある
基本的に人間の思考は雲のようなもので、生成したり消滅したり大忙しだ。
あれが食べたい、これが欲しい、眠い、次の会議の資料を作成しなくちゃ、これからどうなってしまうのだろう、など様々。
よく「思考がモヤモヤする」とか言ったりする。それと似ている。
しかも頭の中だけで話が終わらないのだから、たちが悪い。
外界の刺激はどんどん入ってくる。思考は次々姿形を変える。無定形だ。
その中でも、比較的定形なものはある。
よく見知っている物事だ。
頭のなかで「バナナ」を思い浮かべてみる。割りと正確に描ける気がする。
よく知っている物事は、定形で、
よく分からない物事は、つかみ用がなく無定形。そんな感じ。
●無定形なものをまず言葉にする
では、よくわからない物事を、わかるようにするにはどうしたら良いか。
言葉にしてしまえばよい。
そうすると、情報が不足しているので、たいてい古文書のように穴空き状態になる。
もやもやしたものを無理やり形ある言葉にしようとしているから当たり前だ。
その時大事なのは、古文書のどこに穴が開いているのか、ということだ。
これがわかってくればしめたものだ。
その何かを補いながら、再び言葉にすればよい。
古文書が出来上がってくる頃には、
無定形だったものが定形として、頭のなかにどんと鎮座しているはずだ。
自分がなぜアウトプットをしているのか、
最近わからなくなってきたので、こんなことを考えてみた。
書き終わってみると、自分の考えも古文書のようになっていて穴だらけだ。
きっとこの古文書の穴を埋めるほど、思考がクリアになっていく気がする。
穴空きの古文書を手に取りながらそう思った。